寄らしむべし、知らしむべからず
今、話題の新潟県の関川村の村八分問題ですが。。。
とてもクールな分析をされている方がいらっしゃるのを発見しました。なるほど。
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/6b9760ef5b0db249950b42c7bd4d9f9d
築地もいわば村社会でして、これに似た問題も起こりえるんですが、
でも、どんな有力者の方がお決めになられても、結局筋の通らないことは世の中には
通用しないわけで、最後は収まるべきところに収まるような気がします。
判断の是非は後から見れば誰でもわかるわけですから、最終的には村八分を決定した
有力者の方の権威や信用に跳ね返ってくるんですね。
権力者が民衆を統治するにはどうするべきか。。。古今東西様々な論があります。
とにかく統治者が信頼を失ってはどんな有力者の方が気色ばんでも、力で脅しても
誰も動かなくなる。。。。あるいは時代遅れと笑いものになる。。。。
「民はこれを寄らしむべし、知らしむべからず」という言葉は論語が原典と言われています。
これは一般的には、民衆に余計事は教えるなという愚民政策の勧めと言われていますが
そうではなくて、「べし」は可能の助詞ですからこの場合。。。
「民衆に対して本当のことを知らせるのは難しいものだ。だから自然と統治者になつくよう
統治者自身が人徳を身に付けるように努力しなさい。」という意味だそうですね。
さすが聖人と言われる孔子様。深い洞察力ですねえ。
まあ、それはともかく、お盆休みのいわな取り大会程度で、世間の物笑いになっては、
いかに有力者の方でも割に合わないような気がするのですがいかがでしょう。
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